第5回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2016-6 A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune 真冬のアマルフィ海岸を行く 聖三位一体ベネディクト会修道院5 ABBAZIA BENEDETTINA DELLA SS.TRINITA di Cava de' Tirreni 訪問2 教会(バシリカ) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2020年9月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
2013~2016年アマルフィ海岸現地視察調査報告<256本 全体メニュー> ベネディクト修道院1 ベネディクト修道院2 ベネディクト修道院3 ベネディクト修道院4 ベネディクト修道院5 ベネディクト修道院6 ベネディクト修道院7 ベネディクト修道院8 ベネディクト修道院9 ベネディクト修道院10 ベネディクト修道院11 ベネディクト修道院12 ベネディクト修道院13 ベネディクト修道院14 ベネディクト修道院15 ベネディクト修道院16 ベネディクト修道院17 ベネディクト修道院18 ベネディクト修道院19 ベネディクト修道院20 アマルフィの位置 ベネディクト会 カーヴァ紋章 イタリア国旗 この後、私達はまず最初に、聖三位一体ベネディクト会修道院の教会(バシリカ)を一通り見学しました。下の写真は教会内に入るためのドアの前の池田こみちです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 以下は別の時期に撮影したものなので、ドアのまわりに装飾がついています。 Source: ABBAZIA BENEDETTINA DELLA SS.TRINITA di Cava de' Tirreni 下は教会内部を撮影した写真です。やはり、まるでローマのバチカン公国にあるサンピエトロ寺院のように、荘厳で祭壇周辺、パイプオルガンはじめ側面、天井、床に至るまで秀逸です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 以下はWeb上で修道院が公開している写真です。遠くから撮影しています。 Source: ABBAZIA BENEDETTINA DELLA SS.TRINITA di Cava de' Tirreni ◆バシリカ(大聖堂)の詳細解説 1025年にS.アルフェリオはすでに彼の教会を建てていました。これは 1092年に拡大され、修道院長聖ペテロ一世聖によっていくつかの身廊 を備えた大聖堂に変わりました。現在のバシリカは、1761年にアボット のD.ジュリオデパルマの主導で、数年後にファサードも設計した建築家 ジョバンニデルガイソの設計に基づいて建てられました。当時の基準に 従い、三位一体(Son, Spirit and Father=父と子と聖霊)の礼拝堂と除い て、古い大聖堂は取り壊され、建物の基礎は強化されました。 特に壁のモダンな多色使い大理石の床の後のバシリカの内部は、明 るく調和しています。訪問者の感心をバシリカに最初に引き付けるのは、 12世紀に創られ、最近再建された説教壇です。 1150年にサレルノで亡くなった2番目の妻であるシビラ女王をバディア教 会に埋葬し、モザイクで飾られた壮大な墓を建てることを望んでいたシチ リア・ルッジェーロ2世王からの贈り物である可能性が非常に高いです。 それらのなかで、彼らは石棺だけを今日まで保存しています。 古代の大聖堂の説教壇の後ろ、右側通路の奥に、1641年に改装されて 多色使いの大理石(フィレンツェのモザイク)で覆われた三位一体(父と 子と精霊)の礼拝堂が残っています。 手摺子(バルストレイド)のすぐ後ろの17世紀の礼拝堂の前の壁には、4 つの大理石の彫像が見られます。そのうち、16世紀のS.フェリシタとS.マ ッテオの彫像は注目に値します。右に進むとS.Alferioの洞窟の庵室で、そ の遺物は祭壇の下の壷にあります。左側はS.Leoneの祭壇とその壷、そし て壁には他の聖人の遺物があります。聖なる三位一体祭壇の前の壺には、 聖コスタビレの遺物が収められています。 大聖堂のフレスコ画は、1857年にその地域を代表するカラブリアの画家 ヴィンチェンツォ・モラニの作品です。合唱席のアーチ型天井には聖アル フェリオが聖三位一体を黙想する姿が描かれ、ドーム天井には、贖い主 への崇拝を示す黙示録が視覚化され、右側の袖廊には、聖ベネディクト の死と彼の人生の他の場面、そしてベネディクト派の聖人たちが描かれ、 そして、左側には、預言者と使徒たちととともに、(キリストの)復活が描か れています。 しかし、彼の傑作は、左側の袖廊の祭壇にある「十字架降架」の絵です。 また、アキレ・ゲラによる聖マウロを描いた入口右側にある最初の祭壇の 絵、左側の洗礼堂の扉(16世紀)、そして美しい16世紀の扉のある大理石 の聖具室入口も注目に値します。大聖堂の12の祭壇の下には、修道院の 12の聖なる、そして祝福された修道院長の遺物が収められています。 Source:http://www.badiadicava.it/index.php?option=com_content&view=article&id=4&Itemid=4 下の写真は教会内のパイプオルガンです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は教会内の天井です。秀逸な天井絵画が天井の構造・配置に合わせて多数あります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 教会内の側面には多数の著名な画家により宗教絵画が掲示されています。下はその一部です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 注)教区についての詳細解説 聖三位一体ベネディクト教会(修道院の)教区の歴史は、修道院の歴史 と混同されています。なぜなら、聖なる会の譲歩はすぐに、修道院の母と 一体であると考えられている修道院の依存関係を司教の管轄と影響力か ら取り除いたからです。この意味での最初の譲歩は、1073年にグレゴリー VIIによって付与され、彼の後継者によって数回確認されました。 1394年に、修道院はBoniface IXによって司教の地位に昇格し、修道院長 -司教によって統治されました。その後、1431年から1497年まで、当時の慣 習に従って、それは表彰枢機卿に表彰され、最後のオリビエロ・カラファは 1497年にそれをパドヴァのサンタジュスティーナ会衆に集めました。カヴェシ の主張に続いて、1513年に教皇レオXはカヴァの領土を修道院から切り離し、 独自の教区を建てました。 それ以来、修道院教区の最大の領土は、サレルノ州の南部であるチレント に残りました。 1972年、サレルノ州にある21の小教区と、ポテンザ州にある唯一の小教区が、 近隣の司教たちに使徒職を任されました。 1979年、聖なる会はすべての古代の小教区の分離を認可し、現在大聖堂に 組み込まれているスーパーサイトに追加されたカヴァの教区から分離された 3つの小教区で新しい領土を設立しました。このように構成された領土修道院 は、約10平方キロメートルの面積と、大聖堂のS.Alferio、Corpo diCavaのS.Maria Maggiore、S。Cesareodi Cava de'Tirreniの4つの小教区に分布する約7000人 の住民の人口を持っていました。 SS。ヴィエトリスルマーレのドラゴネアのピエ トロとパオロ。修道院の領土には、S。CesareoのAvvocatellaの聖域とDragonea のSan VincenzoFerreriの聖域も含まれていました。 2013年1月19日、修道院の創設のミレニアムが祝われたとき、ホーリーシーは、 第2バチカン評議会にすでに現れた線に従って、管轄区域を再び変更し、同じ修 道院の周囲の壁と一致させました。したがって、上記の3つの小教区と2つの聖域 は、アマルフィ・カヴァ・デ・ティレーニ大司教区の管轄に戻りました。 修道院のコミュニティは、古代の伝統により、アマルフィ・カヴァ・デ・ティレーニの 大司教の同意を得て、同じくバディアが所有するマイオリ(海抜1000メートル)の 上の聖母アヴォカタの聖域の世話をしています。 Source:http://www.badiadicava.it/index.php?option=com_content&view=article&id=34&Itemid=18 以下は教会内の柱の一部です。柱にも秀逸な装飾が施されています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 一方、以下は教会内の床の一部です。床にも色の異なる大理石のモザイクを用いて秀逸な装飾が施されています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ベネディクト修道院6につづく |